当院のご本尊
「大聖歓喜天」をご紹介します

大聖歓喜天(お聖天さま)とは

お聖天さまは、基本的には「象頭人身」のお姿をされ、男天さまと女天さまのお二人の神さまから成り立ちます。
(※秘仏のため、お姿は掲載致しません。)

もとは、ネパールの霊峰・鶏羅山に住まわれている仏教の天部の神さまです。
唐の国を経て、平安時代に弘法大師によって日本に伝わりました。
その後、織田・豊臣・徳川の戦国武将が信仰したほか、江戸時代に庶民に信仰が広まりました。

〇おかげ(ご利益)  
お聖天さまは、その名前のとおり、「人の喜びを自らの歓び」として人々に幸福をもたらすお神さまです。
仕事成就から良縁成就、病気平癒まで、幅広くいかなる願いもお聞き下さります。  
そのため、「現世利益の最強神」とも言われます。
当院の信者様についても、それぞれの願いと努力に応じたおかげを授かっておられます。

〇呼称
お聖天さまを表す、有名な呼び名としては、
・大聖歓喜天
・お聖天(しょうてん)さん
・歓喜天
・歓喜さん
・天尊
…などがありますが、当院では、「お聖天さん」とお呼びしております。

特長

お聖天さまは、仏教の天部のお神さまで、人間に近い存在であられるのが特徴です。
そのため、人間の心理をよく理解しておられます。
お供え物としては、お酒、甘い物、揚げた物、初物、珍しい物などを特に好まれます。

ご真言

オンキリ クーギャク ウンソワカ (7回)

当山への由来

江戸時代初期、弘法大師作と伝わる日本最古のお聖天さまのお像が、宮中にありました。
徳川秀忠の娘で、後水尾天皇に嫁いだ東福門院は、そのお聖天さまを自身の念持仏とされました。
その当時、宮中に出入りを許された一人の僧侶がいました。
肉類、米穀、野菜を常に食さないことから、その名の付いた、木食以空上人です。
東福門院からそのお像を賜った以空上人は、四国を巡っておられた際、香川県にある八栗寺の背後にそびえる、八栗山の五つの峰を見て、ここが安置する適地と見定め、お堂(聖天堂)が建てられました。
八栗寺は江戸時代を通して高松藩専属の祈願所となり、他国からも多くの参拝者が訪れるようになります。
当院は、大正14年、八栗寺からお聖天さまを灌頂し開山致しました。